今、戻りたい時代を問われたら無敵感があった小学生時代。
身長170cm以上あって小6で120~130㎞のボールを投げていた時代。自分がプロ野球選手にならなかったら誰がなる?くらい思っていた。
野球の名門校桐蔭学園に入学。
お金持ちの同級生が多かった。友達の家に遊びに行くたびに馬主である友達のお父さんと一緒に競馬中継を見ていた。
その父が買ってくれた馬券が第35回有馬記念(G1)オグリキャップ引退レース。有終の美を飾ったオグリキャップの引退レースが競馬との出会い。
単勝1000円分。
勝てば5500円になる。
熱中して応援した有馬記念が競馬のスタートだった。
初めて見る高橋由伸さんの練習を見てショックのあまり傷ついた高橋由伸との出会い。
中2の時、2学年上に入学して来たのが後に巨人軍のクリーンアップを打つ高橋由伸さん。
こんな人みたいになりたいと素直に思えなかった。
もっとちゃんと野球を続ける未来もあったという後悔が今もある。
文章を書く事になった大いなるきっかけもまた野球だった。
高校進学後野球部に所属。
多くの記者が訪れていた。
記者はレギュラー選手にしか興味を示さなかった。
自分ならもっと話ができるのに・・・。
記者たちはありきたりの取材しかできないのだと思った。自分は新聞記者になれる。
文章を書く人間になると思った。一日3冊の本を読み大学在学中のほとんどの時間を文章を書くことに費やした。
大学7年の時 朝日新聞の内定を得た。
がしかし何回目かの留年が決定。
内定取り消しとなり小説家を目指すしかなくなった。2008年『ひゃくはち』で小説家デビュー。
小説を書くこととは自分の才能の無さを突き付けていく作業。
書きたい内容を書けない「自分への葛藤」。
つらい中無条件に楽しかったことを次回のテーマに書いたら?と提案される。
そして「競馬」をテーマに小説を書く事になった。
『ザ・ロイヤルファミリー』の取材に奔走する。
有馬記念を東京競馬場(府中)で見るのが好き。
年の瀬のもの悲しさ。
切なさ。
東京競馬場での有馬記念は異次元の寂しさを中山だと観客と分かち合えてしまう。
西日に照らされる東京競馬場に漂うどこか切ない雰囲気。
最終レースで負けすべてを失って甲州街道を歩いて帰った。
鼻がツンツンして目頭をギュッギュッさせながら
死にたい。何のために生きているんだと思った。あの頃は。
その翌年の有馬記念
自信のあったダイワテキサスから1点勝負する。
テーエムオペラオーとのワイドへ
2~3万を1点。
1点勝負に勝ち翌年の大学の学費に充てた。
そんなこともあるにもかかわらず20年後残っていたのは負けて歩いた甲州街道の記憶。
今も有馬記念が一番好き。
ダービーに溢れるのは欲求、欲望だとしたら有馬記念は祈り、願い。
馬たちが競馬場にたどり着いた光景、パドックを歩く姿、
全てがカッコイイという感情に通じていて・・・
『ザ・ロイヤルファミリー』
2019年JRA賞馬事文化賞
2020年山本周五郎賞
受賞
JRAの招待でいい席を用意してくれた。
何も成し遂げたわけでもないくせに
いい席で上から見ている。でも僕は競馬に限らず地べたから上を見上げていたいな。いつまでも。
『ザ・ロイヤルファミリー』で描いた馬主
ずっと「馬主」のことを搾取する存在として許せないと思っていた。『ザロイヤルファミリー』の主人公である馬主(山王 耕造)はどんどん人間味が増して最後には皆が彼のことを好きになっていく。
そのストーリーを作った理由は本当に多くの純粋で従順な馬主に
会って得た気付きからです。
馬好きの私は『ザ・ロイヤルファミリー』のドラマで
初めて早見和真を知る。
テレビを見ないので
もちろんnetkeibaアプリから
ドラマの情報を得て知り
このところ競馬に入れ込みすぎて
ちょうど10月から馬券購入を控えていたところ。
第一話、二話とレースのシーンでは
馬券を購入しているかの如く
「行け~!!!」
ここで声には出さなくとも
叫ばなかった人はいるのか( ”G” )
そしてnetkeibaの「わたしの競馬履歴書」
よい!!!!!
映像はもちろんのこと作者の想いひとつひとつが
共感できるのは私だけではない。
ギュッギュッと心を持っていかれる。
早見 和真は、日本の小説家。 ウィキペディア
生まれ: 1977年7月15日 (年齢 48歳), 日本
学歴: 國學院大學
デビュー作: 『ひゃくはち』
主な受賞歴: 日本推理作家協会賞(2015); 山本周五郎賞(2020)




コメント